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恩師との絆

今日は、韓国とガーナのW杯前最後の親善試合でした。
たまたま休みだったので、ネット中継で見ておりました。

韓国代表は、毎度のことながら、最初はいいんです。
イケイケで、決定力さえあれば、先制点も…という感じで。

でも、なかなか得点できずにいると、そのイケイケに足元を救われ、カウンターをくらって失点。
切り替えの遅さは、どうにも直らないですね。
オリンピックと同じ感覚でいたらダメなんだけどなぁ。。

DF陣は、ソッコ以外はかわりばんこに出場。
おい!ソッコは!!( *`ω´)

まじ、秘密兵器なんでしょうかね、ソッコ(笑)

カクテヒ選手よりは経験がないかもしれない。
でも、絶対に負けてないと思う。
なんで出番をもらえないかなぁ。。

代表戦、ケガで行けなかったことが、ここで大きなマイナスになってるのかしら。
そんなことないはずなんだけどなぁ。。

などと、ネットをさまよってたら、昨日の記事に、テグ大学の恩師さんのインタビューが載ってました。
ケガをしがちなソッコのトレーニングについてアドバイスが。

たしかに、この春、ソッコは体をしぼってます。
2kg痩せたと言ってたし、体が重たそうな感じがしません。

これも、W杯のためなんだよなぁって思ったら、声援送らないとね!


ざざっと、翻訳機にかけてみました。
長文なのですが、興味があるかたはどうぞ。
↓ ↓ ↓

http://sports.chosun.com/news/ntype.htm?id=201406110100090550006091&servicedate=20140610

過ぎた3月、慶尚北道慶山濃い量のある飲食店。パクスンテ、大邱(テグ)大学監督とファンソクホ(サンフレッチェ広島)が向かい合った。
朴監督は心に留めた。いつも励ましと助言を惜しまなかった。しかし今回だけは書いたことを言った。
体の状態がすべてのことを物語っていた。自分の下にいるときはなかなかけがをしなかったファンソクホだった。プロチームに入ったら、負傷が多かった。
ギリシャ戦を控えて召集されたが結局、負傷で落馬した。

ファンソクホが日本に帰る前、朴監督が場を設けた。
朴監督は口を開いた。
"潟湖だよ。なぜ急に負傷が増えたと思う?私の考えには君の過ちが多かったようで"
ファンソクホは言わずただうなずいた。
朴監督は、ため息をついた。そうしては言葉を止めた。

ファンソクホを初めて見た時が浮上した。

カンチョルメン パク監督は2007年ファンソクホがウンホコ3年生の時、初めて会った。
大邱(テグ)大学を務めていた朴監督はウィングバックが必要だった。高校、有望株を見に通っていた適当な選手がいなかった。その中、大邱大学を卒業したハン選手の両親からウンホコ3年生の守備手が大丈夫という話を聞いた。
練習試合を一つ取った。ソウンデとの試合だった。
ファンソクホは中央守備手に出た。
朴監督の口から"あいつ見なさい"という言葉が自ずと出てきた。
当時、中央守備力は普通だった。しかし、朴監督の目を捕らえることがひとつあった。

守備で攻撃に出ている姿が印象的だった。
相手のクロスを迅速に引っかけたプレーに自信感が溢れていた。'よく育てばやってみるものする'と思った。
2008年に大邱(テグ)大学に連れてきた。
朴監督はファンソクホのトレーニングの強度を高めた。、ウエートトレーニングに集中した。大邱(テグ)大学のウェートトレーニングは強度が強かった。
ファンソクホは不平不満がなく、消化して出した。チーム内でもよくしられている'カンチョルメン'になった。
筋力ができて、スピードが上がった1年間サイドのウィングバックとして最高の活躍を見せた。

マルチプルレイヤ2年生になったファンソクホに新たな宿題が一つ投げられた。
中央守備手だった。
大邱(テグ)大学の主力中央守備手が負傷した。代替資源が必要だった。
ファンソクホは、高校時代、中央守備の経験があった。大学に入っては1年間サイドのウィングバックだけ消化した。
朴監督は悩みに陥った。中央守備手にしてはそれほど高い身長(1m82)ではなかった。それでもよくできるようだった。

ファンソクホはかなり苦労した。
朴監督も、その理由を知っていた。
マルチプレイヤーというのが、監督の立場ではいいが、選手入場では簡単なことがなかった。ポジションを運ぶごとに何倍の努力をしなければならなかった。
朴監督はファンソクホが大変になる時の度になだめた。

"潟湖だよ。今は大変だがマルチ能力を備えれば、君に大きい力になる日が必ず来るよ。私を信じてついてくれてごらん。"
ファンソクホはその度に"はい"と朴監督に従った。結果は大成功だった。

3年生が終わる前にファンソクホは大学舞台を代表する全天候守備手になっていた。

▶幸運そして不運

ファンソクホが3年生の時の2010年末。朴監督は'87学番のサッカー人会'で、洪明甫(ホン・ミョンボ)監督に会った。
87学番のサッカー人たちが集まって親交も分けてボランティアもする集まりだった。
洪監督のほかにも黄善洪(ファン・ソンホン)、浦項(ポハン)監督など数多くの指導者が共にした。

朴監督は当時、五輪代表チームのメンバーを探していた洪監督に自分の弟子を推薦した。
ためらってもした。変に推薦したが、まともな技量を見せずば友達として洪監督にすまないことだった。
推薦を受けた洪監督はうなずいた。一度見とした。
翌年3月、洪監督は、選手発掘車、慶南南海(キョンナン・ナムヘ)で開かれた春季大学サッカー連盟展に訪れた。
その時、朴監督の推薦を記憶して出した。すぐ、大邱(テグ)大学の試合を見た。

2~3試合見た後、ソウルに上がった。
いくらならず、朴監督の電話機が鳴った洪監督だった。
大学選手たちのテストをするからファンソクホをあげて送ってほしいという依頼だった。

ファンソクホは太極マークとそんなに縁を結ぶことになった。
しかし、ファンソクホは五輪代表チームの試合でまともに走れなかった。
学校側では走ることもできないくらいなら何しに送るかと丁寧でない視線を送った。
ファンソクホも失望ばかりしてきた。
その度に朴監督は学校に"少しだけ待ってくれて。きっといい知らせが来るだろう"と述べた。

ファンソクホにも"お前自分を信じて運動だけに邁進しなさい。汗は決して裏切らない"とした。

2012年に大邱(テグ)大学を卒業したファンソクホはサンフレッチェ広島に入団した。
サンフレッチェでは良い姿を見せた。
それでも五輪代表チームでのファンソクホは主力がなかった。
ファンソクホが不安に包まれているのは当然だった。

そうする度に朴監督はファンソクホを軽く叩いた。
幸運がついた。
ロンドン五輪を控えて、洪明甫号の、主力DFの洪正好とジャンヒョンスが負傷した。ファンソクホが代わりに抜擢された。
ファンソクホは韓国の全試合に出場し、チームの銅メダル獲得に大きく力を加えた。

潟湖だ自負心を持ちなさい

"監督様。どうも私が体調管理を疎かにしたようです。"
弟子の言葉に心がいっぱいになった。

先生は言葉を続けた。
"そう。潟湖だよ。君大学時代に思いなさい。
その時は最大酸素摂取量を70~80%までできるように体を作っておいていた。それで負傷もなかったんじゃないの。
ところで日本で1年しかできなかったのに負傷が多くなった。
その体を維持しないという話じゃない。
日本は運動量が少ないことで有名だからね。
そのために君は個人運動を通じて体調を維持するしかない。"

ファンソクホもうなずいた。
その場でまた師と弟子は個人トレーニング計画を書き換えるた。

2ヶ月が過ぎた。
5月8日、朴監督はTVの前に座った。
洪監督が出ていた。W杯最終エントリー23人を発表した。
洪監督の口から"守備手ファンソクホ"という言葉が出た。
続いて"ファンソクホはマルチ能力がある"とした。
朴監督はスマートフォンのメッセンジャーをつけた。

ファンソクホにメッセージを送った。
'潟湖とはもうから始まるんだ。
集中しなければならないよ。
何に集中しなければならないのかは言わなくても分かるだろう。
ワールドカップは世界の大きな祭りである。
その祭りに参加する大きな人という自負心を持って走ると良い結果がありそうだ。
韓国のためにそして大邱(テグ)大学のためにまたお前自分のために最善を尽くしなさい。'

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